第2回憲法談話室の報告

           2016年5月1日(日)第2回憲法談話室の報告

5月1日の日曜日、憲法談話室では憲法を考える若手弁護士の会の藤岡拓郎弁護士を講師に2回目の憲法談話室を開きました。テーマは憲法と民主主義でした。その次第は次の通りです。

憲法13条には「すべて国民は個人として尊重される」とあります。この国民とは日本で生活する人すべての人という意味です。ですから、これは個人・人間の尊厳と言われるものであり、日本国憲法の最も重要にして根元的な部分です。それゆえ、日本国憲法の基本的原理は国民主権、基本的人権、平和主義ですが、これらの基本的な原理を支える根元的原理がこの個人の尊重なのです。

<なぜ個人の尊重なのか>
わたしたち一人ひとりの人間は誰一人同じ人間はいないかけがえのない人間です。ぞれぞれがかけがえのない一度きりの人生を生きています。それゆえ一人ひとりがかけがいのない価値を持ち、人・個人として生きる権利を持っています。ですから、その個人として生きる権利は尊重されなければならないのです。これが日本国憲法の最も重要な価値観なのです。この価値観から日本国憲法には13条において幸福追求権が、15条において参政権が、19条において思想と良心の自由が、そして21条において表現の自由が保障されています。

<民主主義とは>
今回のテーマである民主主義とは何でしょうか。一言で言えば、一人ひとりとその人権が保障されることです。個人の尊重には上記の通り人はみな同じという側面と同時にみな違うという側面があります。誰もが人として同じように尊重されるべきですが、誰一人として同じ人間はいません。誰もが個性があり、みな違った人生を生きています。ですから、一人ひとりを尊重するということは、一人ひとりの個性を尊重するということです。そして人の個性はその人のすべてです。性別、年齢、人種、文化、風習、言葉や宗教などのあらゆる違いが個人にあります。これらの個性が集まってその人とその人らしさをつくっています。日本国憲法13条には「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と明記されています。この条文からも日本国憲法は一人ひとりの個性を最大限尊重し、お互いの違い、多様性を認め合い自分と違う者であっても認めて生きる開かれた社会を目指しています。「幸福追求権」これも自分の幸せを追い求める権利です。家族が決めた幸せや地域や社会や国家が決めた幸せを追い求める権利ではなく自分が決めた幸せを追い求める権利です。しかしこれは自分のわがままを通すというような利己主義とは全く違います。みんな違うという多様性を認め合って生きるということです。言い換えれば、社会の表に出て来ることが出来ない人々、差別されている人々、多数派から理不尽なことを押しつけられている少数の人々、不当な扱いをされている人々の立場に立って共に考え、共に生き、共にたたかうということです。

<民主主義と多数決>
今、民主主義は多数決であると決めつけたり、過半数さえ取れれば民主的な正しいあり方であるとする短絡した考え方が蔓延しています。しかし民主主義は多数決ではありません。多数決や過半数を裏返すとどうなるでしょうか。半数に近い人たちが違った意見あるいは反対しているということになります。ですから、国家が半数を取ったから国民の意見であり、民主主義的な決定であるという考え方は全くの欺瞞です。民主主義における「民」は今生きている有権者のことだけではなく過去、現在、将来に生きるすべての国民を指すのであって今過半数さえ取れれば正しいんだ。民主的なんだという捉え方はあまりにも短絡し狭量であり欺瞞です。

<民主主義と立憲主義>
前回わたしたちは憲法と法律の違いについて学びました。憲法と法律は同じ法という言葉で言い表されますが
全く性質が異なります。法律は国家権力よる強制力を伴った社会的な規範・規則のことです。これを守らないと国から罰則が与えられます。国家はわたしたちの自由や権利や社会秩序を守るために法律によって国民を制限します。しかし、国家が国民の自由と権利を守るためと称して好き勝手に法律をつくり国民を不当に制限するケースが出てこないとも限りません。権力者は権力を乱用するものです。そこで国家の暴走にあらかじめ歯止めをかけるために憲法があるのです。ですから、憲法は国家権力の暴走に歯止めをかけて国民の自由と人権を保障するもの、即ち立憲主義の憲法なのです。
憲法99条にはこうあります。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負う。
この条文ではけんぽうを尊重して守る義務を負うのは、天皇をはじめ国務大臣、国会議員などの公務員であり、この中に国民は入っていません。憲法を守るべき立場の人は国民ではなく為政者たちなのです。法律が国民の自由を制限するものであるのに対して憲法は国家権力を制限して国民の人権を守るものなのです。
 そして、この立憲主義と民主主義との関係ですが、この二つは民主主義的な立憲主義という言葉で一つに結ぶことが出来る言葉です。即ち、この二つは二つにして一つ、不離一体の概念であり、決して切り離してはならない言葉です。言い換えれば、今回の安倍政権の戦争法案の強行採決は明らかに民主主義を踏みにじるものであり立憲主義からも明らかに違憲です。ですから、国家権力の暴走、民主主義的な立憲主義を破り捨てる暴挙であって決して許されるものではありません。各地でこの暴挙に対する裁判闘争が始まりました。わたしたちは司法の民主主義的な立憲主義に立った判決を待ちたいと思います。しかしこの司法の裁きにも大きな問題点があります。

<民主的な立憲主義と裁判>
裁判所の裁判官は99条にあるとおり憲法を守る立場にありますが、国民が選ぶことが出来ません。ということは今回のように憲法訴状問題が起きたときに司法・裁判所は国家側にあり、民主主義的な制度の枠外にあるのです。ですからこれまでのように非民主主義的な判決が下されることが多くありす。しかし、裁判所・裁判官によっては民主主義的な立憲主義の立場にたって訴状内容をよく吟味し民主主義的な判決を下すこともできます。現在、安倍政権を相手に戦争法案をはじめ原発訴訟、TPP訴訟が起こされています。わたしたちはこれらの訴訟に民主的・立憲主義的な判決が下されることを大いに期待し、共にたたかいたいと思います。

<おわりに>
今回も良い時を持つことが出来た。特に民主主義的な立憲主義を学ぶことを通して改めて個人が社会や国家の犠牲になってはならない。あくまでも個人のための国家であり、国家のための個人ではない。ことを学ぶことができた。しかし、同時に自民党の憲法草案は、個人は国家のための個人であり、国家のために滅私奉公をすべきである。という真逆の草案であり、政権や公務員が守るべき憲法を国民が守るべき憲法にして国民の自由と権利を剥奪しようとする狙いがあることから、改めて如何に非民主主義・非立憲主義的なデタラメ草案であるかを知ることが出来た。怒りと危機感が増幅した次第です。
次回は6月5日(日)、いよいよ、憲法9条について学びます。講師は憲法を考える若手弁護士の会の足立啓輔弁護士(藤井滝沢綜合法律事務所)です。7月の参議院選挙を前にもう一度平和憲法を学び、平和を創造する一票にしたいと願います。どうぞお気軽にご参加下さい。
                           2016年5月11日  矢澤新一郎