第4回憲法談話室(7月3日)の報告

ー現憲法はGHQによって押しつけられたものかー

日本国憲法についてウィキベディア(フリー百科事典)で見てみた。次のように記されていた。
「日本国憲法は、1947年(昭和22年)5月3日に施行された、日本の現行憲法である。昭和憲法、あるいは単に現行憲法とも呼ばれる。
1945年(昭和20年)8月15日に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つは、日本国憲法を特徴付ける三大要素と呼ばれることもある。」
安倍政権はこの現憲法についてGHQに押しつけられた憲法である。だから改正しなければならない。という論陣を張っている。そして憲法改悪のために躍起になっている。
今回の憲法談話室では、千葉県の九条の会事務局長・野口宏氏を講師に、現憲法はGHQによって決して押しつけられたものではなく日本の憲法学者・鈴木安蔵をはじめとする「憲法研究会」の作成した憲法草案を手本としたものであったこと。また、憲法九条は当時の幣原喜次郎首相がマッカーサー元帥との会談の中で幣原首相から提案したものであったこと。そして当時の毎日新聞の世論調査により現憲法は圧倒的な多数で国民に受け入れられたことが明らかにされた。

それでは、まず、憲法学者・鈴木安蔵とはどんな人物であろうか。鈴木安蔵は福島県小高町生まれ相馬中学校、第二高等学校文科甲類を経て京都帝国大学文学部哲学科に入学。その後社会の矛盾に対抗するため経済学が必要との考えから経済学部に転部。1926年治安維持法違反第一号「学連事件」で検挙され自主退学。以後、憲法学、政治学の研究に従事。民衆の立場に立つ憲法学を成立させる。1937年衆議院憲政史編纂委員。1945年「憲法研究会」案の『憲法草案要綱』を起草。
戦後まもなくの日本では民主主義国家の形成に向けて知識人たちがいち早く行動を開始した。そして、当時大日本帝国憲法にかわる、真に民主的な新憲法は民間人から生まれてしかるべきだという気運が彼らを取り巻いていた。鈴木安蔵はそんな時代の流れの中で高野岩三郎、森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄、杉森孝次郎らと民間の「憲法研究会」を結成した。メンバー唯一の憲法学者である安蔵を中心に、彼らは新しい時代に求められるべき憲法を探るため草案完成に向け論議を重ねて力を尽くした。そして日本政府によって作成された憲法草案は大日本帝国憲法と基本的には代わり映えしないものとGHQ側にはね返されたが、「憲法研究会」が熟考を重ねてGHQに提出した草案は、真に民主的なものであると高く評価され、GHQによる憲法案の作成に大きな影響をあたえ、結果として、このGHQ草案を元に作られた現行日本国憲法は少なからぬ点で共通する部分を有していた。鈴木安蔵が現憲法の間接的起草者といわれるゆえんである。
このことは丁度10年前に上映された大澤豊監督の映画「日本の青空」において世に明らかにされた。しかし、今「日本の青空」に暗雲が立ちこめている。「青空」は断じて暗雲に変えてはならない。

次ぎに幣原首相が九条の提案者であったということであるが、これは昭和37年2月に行われた憲法調査会事務局の平野三郎氏による幣原首相のインタービューによって明らかとなっている。それは昭和21年1月24日に行われた。その時、幣原首相はこう語っている。「第九条の永久的な規定には彼も驚いた様子であった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、懸命なマッカーサー元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。」
これについて元帥もこれを認めた手紙が発見された。手紙の発見者は堀尾輝久・東大名誉教授である(東京新聞2016年8月13日朝刊)。それによると憲法調査会の高柳賢三会長が58年12月10日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案たか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。するとマッカーサーから15日付で返信があり「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行った」と明記。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結んでいたのである。これは両者が言っているのだから間違いがあるはずがない。

また、新憲法草案への国民の世論であるが、1946年5月27日づけの毎日新聞の世論調査によると、次の通りであった。
戦争放棄 支持71% 反対は29%
全体 賛成85% 反対は13%でった。
実に高い国民の評価であった。当時の世論は押しつけられたものとは決して考えてはいなかったのである。

2012年に発足した安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を声高に叫んでいる。レジームとは「国家体制・国体」のこと。だから、安倍政権は現在の国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定めた現憲法・国体の解体、また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めた「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の国体・憲法を廃棄し、戦前回帰を狙った偏狭な独裁政治を行っているのである。論より証拠、安倍政権は戦前・戦中の国体を反省・回心・批判しているであろうか。否。この間の日本の軍隊と国家神道(宗教と皇族と教育を利用した政治的なイデオロギー)が国の内外において行ってきた非人道的な行為を批判していない。それどころか、愛国の道としてこれを評価・奨励し亡国道を邁進しているのである。とりわけ現憲法の廃棄は2012年に世に出された自民党の憲法草案に明らかである。それは国際社会で重視されている人権や人道を重んじた価値基準よりも国家の利益を最優先する内容であり、憲法が政権を縛る立憲主義ではなく国が国民を縛る非民主的な戦前回帰の憲法となっている。
今回の参院選で安倍政権は3分の2の議席を手にした。これによって憲法改悪が加速した。なぜ、国民・わたしたちは亡国の道を選択したのであろうか。それは安倍政権の実態とその正体が国民に明らかにされず隠されているからである。その意味でマスコミの罪は重くて大きい。何よりも目覚めていない国民自身の怠慢と罪は重くて大きいものがある。今、わたしたちは現憲法を知ることによって国民主権と立憲主義に目覚め、今後は立候補者の知名度や人気度による投票をしないことである。日本の明日・わたしたちの明日は国民主権と人権尊重と平和主義に徹した憲法にかかっている。わたしたちの人生と社会と国を戦前回帰の憲法・国体に託してはならない。
<2016年8月30日 矢澤新一郎>

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