2018年3月18日の憲法談話室開催のご案内

         国民が一番心配しているのは原発事故だ

 今回は「福島第一原発の今と課題」をテーマに、たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワークの柳田真氏をお迎えして3月18日の日曜日に憲法談話室を開きます。今回は講師の柳田真さんの書いた一文を紹介してご案内といたします。タイトルは「国民が一番心配していることは原発事故だ」◆◆国民が一番心配していることは原発事故だ。原発事故はすべてを奪うから(福島事故の実例がそう)。国民は生活が第一。物価高(インフレ)や増税の少ない、安らかに暮らせる日常を望んでいる。同時に深い心理のところで自然災害と原発過酷事故を心配している。国が滅びるとしたら、巨大自然災害を除けば、戦争と原発事故の二つだ。戦争は絶対起こしてはいけない。原発事故を起こさせてはいけない。米国が北朝鮮を攻撃すること、安倍政権がそれに加担することを防がねばならない。戦争の時、真っ先に狙われるのは原発と軍事基地(沖縄など)だ。原発に爆弾やミサイルが来れば、そこは福島事故級の大惨事になる。絶対避けたい。原発事故は再稼働が進めば進むほど事故のリスクは高くなる。再稼働は原発事故を準備していると言える。なんとしても戦争と原発再稼働を阻止しよう。◆◆
        【憲法談話室開催要項】
●2018年3月18日(日) 午後2時~4時
■ テーマは「福島第一原発の今と課題」
■ 講師は 再稼働阻止全国ネットワークの柳田真氏。
 ●参加費:各回500円(資料代・茶菓・講師の謝礼)
●参加申し込み:電話かメールで下記へ氏名、住所、電話  番号を記載してお申し込み下さい。
 ●申込先・会場(〒264-0016千葉市若葉区大宮町2880-69)
  千葉大宮キリスト教会 電話043-263-5330    メールアドレスs.y@jcom.zaq.ne.jp
    URL http://syazawa.jp/
●主催 千葉大宮9条の会 共催 千葉大宮キリスト教会

2017年4月16日の憲法談話室

       日本がアメリカの防波堤に
映画『標的の島 風(かじ)かたか』の監督・三上智恵さんはインタービューにおいて「この映画で伝えたかったこと」と問われて次のように話した。これは『「戦死者を出さない」ための映画。沖縄だけではなく日本全体がアメリカの「防波堤」にされようとしている。』
今しもシリヤのアサド政権が化学兵器を使用したと断じたトランプ政権はシリヤへの空爆に及び、これが北朝鮮への警告でもあると語った。それと知った北朝鮮はアメリカ軍が駐留する日本を軍事的な標的とすると語った。一方、日本の安倍政権はアメリカのシリヤ空爆を高く評価した。ということは三上監督がこの映画製作をとおして訴えた「日本全体がアメリカの防波堤にされる」怖れが出てきた、ことになる。これでいいのか。いいはずはない。談話室でご一緒に「標的の島・沖縄」について十分知り、語り、決して戦死者を出さない活動をしていこうではないか。
【憲法談話室開催要項】
●2017年4月16日(日) 午後2時~4時
■ テーマは「沖縄」
■ 講師は千葉県九条の会の事務局長 野口宏氏です。

●定員15名(予約制)
●参加費:各回500円(資料代・茶菓・講師の謝礼)
●参加申し込み:電話かメールで下記へ氏名、住所、電話番号  と何日の談話室参加希望かを記載の上お申し込み下さい。
●申込先・会場
〒264-0016 千葉市若葉区大宮町2880-69
千葉大宮キリスト教会 電話 043-263-5330   メールアドレス s.y@jcom.zaq.ne.jp
●主催 千葉大宮9条の会 メールアドレス s.y@jcom.zaq.ne.jp
千葉大宮キリスト教会 URL http://syazawa.jp/
●共催 千葉中央法律事務所  URL http://www.cbclo.com

2017年3月19日の憲法談話室

家庭教育支援法案の狙い
安倍政権は共謀罪に続いて今国会に「家庭教育支援法案」を出すつもりである。これは名称の聞こえはいいが、何と国家が国民の各家の中に土足で上がり込んで家族のあり方に介入、公共・国家の利益や秩序を振り回して基本的人権や自由な個人の生き方を否定する法案である。これは憲法の自民党草案24条に基づいたものであるが24条の特徴は①家族の扶助義務を強調。②個人の尊重や個人主義の否定。③男女平等を嫌い女性の家庭的な責任を強調。④選択的夫婦別姓の敵視。⑤多様な家族のあり方(独身、離婚、同性婚等)を否定するものである。いわば各家庭はお国のために、ひたすらお国のために仕える、お国に都合のいい家庭・人間づくりを狙った法案である。このような教育勅語を重んじ靖国の母を強要する戦前回帰の法案を通してはならない。みなさんとご一緒に考え行動しましょう。ご来会をお待ちしています。

【憲法談話室開催要項】
●2017年3月19日(日) 午後2時~4時
■ テーマは「自民党草案24条と家庭教育支援法案」
■ 講師は千葉中央法律事務所の高橋高子弁護士です。

●定員15名(予約制)
●参加費:各回500円(資料代・茶菓・講師の謝礼)
●参加申し込み:電話かメールで下記へ氏名、住所、電話番号  と何日の談話室参加希望かを記載の上お申し込み下さい。
●申込先・会場
〒264-0016 千葉市若葉区大宮町2880-69
千葉大宮キリスト教会 電話 043-263-5330   メールアドレス s.y@jcom.zaq.ne.jp
●主催 千葉大宮9条の会 メールアドレス s.y@jcom.zaq.ne.jp
千葉大宮キリスト教会 URL http://syazawa.jp/
●共催 千葉中央法律事務所  URL http://www.cbclo.com

2017年2月19日の憲法談話室

            憲法と共謀罪
安倍政権は通常国会に「テロ等組織犯罪準備罪」に名を借りた過去3回も廃案になった「共謀罪」の提出を目論んでいる。これは何と国民の内心や思想を管理し取り締まる法案である。そもそも近代刑法の基本原則は実際の行為や結果が生じなければ罪に問われないところにある。ゆえに共謀罪が成立すると国民の会話や相談が犯罪になってしまう。「みんなで市役所に行って窓口で陳情しよう」という話し合いが組織的威力業務妨害の共謀罪に問われる可能性がある。戦前、戦争に反対する人たちの取り締まりに利用された治安維持法も帝国議会で論議された時「近代刑法の原則に則っていない」と批判されたが、法制定後は歯止めがきかなくなり、これによって国民の思想信条の自由が剥奪され弾圧された。強行採決された安保法制によって日本は憲法九条に反して戦える国になった。だから安倍政権は国民の戦争批判を怖れているのである。戦前・戦中回帰はゆるされない。ご来会をお待ちしています。

【憲法談話室開催要項】
●2017年2月19日(日) 午後2時~4時
■ テーマは「共謀罪」
■ 講師は憲法を考える千葉県若手弁護士の会弁護士

●定員15名(予約制)
●参加費:各回500円(資料代・茶菓・講師の謝礼)
●参加申し込み:電話かメールで下記へ氏名、住所、電話番号  と何日の談話室参加希望かを記載の上お申し込み下さい。
●申込先・会場
〒264-0016 千葉市若葉区大宮町2880-69
千葉大宮キリスト教会 電話 043-263-5330   メールアドレス info@kenpodanwashitsu.com
●主催 千葉大宮9条の会 メールs.y@jcom.zaq.ne.jp
千葉大宮キリスト教会 URL http://syazawa.jp/
●共催 憲法を考える若手弁護士の会                 https://www.facebook.com/chiba.constitutionalism/

2017年1月15日の憲法談話室

              憲法と日本会議
日本会議は1997年5月30日に発足した。しかしその前日に日本会議を全面的にバックアップする目的で超党派の日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)が発足した。この日本会議議連は超党派であり、その9割は自民党議員であり、衆参議員717人中の約4割を占めている。ゆえに第一から第三次安倍政権は彼らによって誕生し、両者は今も綿密に連携して日本の政治を動かしている。今回の談話室は彼らの実態に迫り、今後の日本を考え、対策を練ってゆきたい。あなたも是非ご参加を!。

【憲法談話室開催要項】
●2017年1月15日(日) 午後2時~4時
■ テーマは「憲法と日本会議」
■ 講師は憲法を考える千葉県若手弁護士の会弁護士
●2017年2月19日(日) 午後2時~4時
■ テーマは「憲法と日米合同委員会」
■ 講師は憲法を考える千葉県若手弁護士の会弁護士

●定員15名(予約制)
●参加費:各回500円(資料代・茶菓・講師の謝礼)
●参加申し込み:電話かメールで下記へ氏名、住所、電話番号  と何日の談話室参加希望かを記載の上お申し込み下さい。
●申込先・会場
〒264-0016 千葉市若葉区大宮町2880-69
千葉大宮キリスト教会 電話 043-263-5330   メールアドレス info@kenpodanwashitsu.com
●主催 千葉大宮9条の会 メールs.y@jcom.zaq.ne.jp
千葉大宮キリスト教会 URL http://syazawa.jp/
●共催 憲法を考える若手弁護士の会                 https://www.facebook.com/chiba.constitutionalis

10月2日に開かれた第7回憲法談話室の報告

 10月2日に開かれた第7回憲法談話室の報告

テーマは「国防軍」。講師は憲法を考える若手弁護士の会の足立啓輔弁護士であった。

■戦争放棄の座に軍隊が居座る
現行憲法は2章に戦争放棄と武力放棄の九条を記している。自民党草案は同じ2章に九条を全く破り捨てた真逆の安全保障という名で「国防軍」を記している。これは自民党・現政権のいう安全保障は武力や軍隊や戦争によるに安全保障あることをいちじるしく物語っている。
■軍隊は国民を守る組織ではない
第一、国防軍は国を守る軍隊という名前であるが、軍隊というのは、いざというときに、わたしたち国民を守る組織であろうか。決してそうではない。軍隊は政府とその指揮系統を守る組織、あるいは政府を批判する国民を攻撃し国民に銃を向ける組織である。だから国を守るという非常事態においては政府と軍隊の作戦の妨げになるものはすべて排除する組織である。現に日本は国を守るという名のもとに太平洋戦争下の沖縄戦では洞窟に避難した一般住民を日本軍が追い出した。そして、泣き声を上げる赤ちゃんを殺すように母親に強要した。また、一般住民にも生きて捕虜の恥を晒すことなく自決せよと集団自決を強要した。また、戦争の末期、旧「満州」中国東北部では、関東軍が日本人の避難民を置き去りにして真っ先に逃げ出した。軍隊は国・政府を守る戦闘のために訓練を受けた組織であってわたしたち国民を守るために訓練を受けた組織ではない。戦闘の邪魔になる人々は、たとえ日本国民であってもすべて非人間的に排除・殲滅する組織である。

■自民党草案の国防軍
この自民党草案にもそのことが書いてある。9条2項に国防軍の役割として「国及び国民の安全を確保するため」とある。これは国民よりも国を重視するということである。また、その改正理由に「独立国家であれば軍隊を保有するのは世界の常識である」と記されている。しかし「軍隊は国家を守るものであり、国民を守るものではない。」これこそ世界の常識である。
さらに、草案9条の2項には、国防軍の統制を「法律の定めるところにより」とある。しかし、そうすることは多数派の政権与党の意向が大きく働く予知があることである。従って憲法の統制になっていないことが明白である。
加えて、9条の2項には「国会の承認」以外に「その他の統制」が記されている。ということは文民統制・非軍人の政治家が軍隊を統制し、政治が軍事に優先する基本方針が徹底していないことを意味する。
また、9条の3項には「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」とある。これは国内において暴動や内乱が起きたときは憲法が国防軍に治安出動を認めるということである。これは要するに国策に合わない国民によるデモや集会などに国防軍が治安維持の名の下に銃を向けるというような軍事的制圧をすることが許されるということである。このように国民に危害を加えることができる内容を憲法が明記することは立憲主義とは全く相容れないものである。
加えてこの9条3項には「国民に領土・資源の確保義務を」課している。
これは中国などの近隣諸国との覇権争いを念頭に置いたものであり領土や資源を守るために国防軍が軍事的な行動をとることが示唆されていることは明白である。さらに、改正理由には「国を守る義務を規定すると具体的理由として徴兵制を問われるから避けたとある」が、それに向けて足場を固める趣旨の規定であって戦争をする国を前提とした規定であることが分かる。 そして、草案9条の4項には国防軍の機密の保持については「法律で定める」とある。ということは国家による情報統制が重視されることであるから、この項は国民主権を大きく後退させるものである。国家の重要な情報は主権者である国民のものであるがゆえにこの条項は憲法にはふさわしくない。
また、9条の第5項には国防軍には特別な審判所・裁判所を設けここにおいて軍人や公務員の軍事機密に関する罪を裁くということが記されている。規定では軍人と公務員が対象となっている。しかし、軍事機密に関与した一般人も広く対象になり得るところから、公開裁判の原則(現行憲法82条)や裁判を受ける権利(32条)に反する恐れがある。ゆえに、国民の人権保障が大きく脅かされる恐れがあることは明白である。

■現憲法の9条の心
現憲法は9条において 戦争と武力の放棄を規定している。一言すれば非武装・中立・不服従の立場である。第二次世界大戦直後、日本は「新しい憲法のはなし」に記されているとおり「一切の武力を放棄したので国としての自衛権は持たない」という立場をとった。敗戦の翌年・1946年の国会で 「正当防衛のための戦争はありうるのではないか」という共産党議員の質問に対して、吉田茂首相が「近年の戦争は、国家防衛権の名において行われた。正当防衛権を認めることが戦争を誘発する」と答えたのは有名な話しである。

■何故自衛隊が生まれたか
ところが、その後、朝鮮戦争が勃発して苦境に陥ったアメリカの対日政策が一変したために日本政府はこれに隷従、1950年に警察予備隊を設置、1952年にはこれを保安隊に改組、1954年には自衛隊法を設けて自衛隊を設置した。従って日本は駐留米軍と共に日本の安全を自衛という名の武力で保障しようと試みる国となった。
それでは、朝鮮戦争の際の米軍の対日政策とは一体何だったのだろうか。
それは次の日米間で交わされた二つの密約において明らかとなる。
その一つは「統一指揮権密約」。これは戦争になったら日本軍は米軍の指揮下に入る。という密約である。1952年と1954年に当時の吉田首相が口頭で結んでいる。この密約が当時の自衛隊の創設から今日の安保関連法の成立までつながっている。
もう一つは「基地権密約」米軍が日本の基地を自由に使うための密約・権利である。

■二つの密約に対する日本政府の対応
基地権密約は日本に勝利した米軍は占領が終わっても日本の国土を世界戦略のために、自分たちの基地として使いたいと欲した結果であった。そして
指揮権密約は、米軍が日本が二度とアメリカの軍事的脅威にならないよう占領が終わった後も日本の軍隊を自分たちの指揮下に置きたいと欲した結果であった。
これに対して日本政府は基地権・日本の基地を自由に使う権利に対してはほぼ全面的に譲歩した。その代わりに指揮権については専守防衛の名のもとに設置した自衛隊と9条の第2項・武力の放棄に基づく国民の声を背景に抵抗し国外での軍事行動については拒否つづけてきた。しかし2015年9月に安倍政権は多くの国民の声を無視して安保関連法の裁決を強行した。この安保関連法の法的根拠と本質は日米の軍事的一体化、戦争になったら日本軍は米軍の指揮下に入る「指揮権密約」にある。それゆえ、これまでは自衛隊の守備範囲は日本とその周辺だけでよかった。しかしこれからは地域的な縛りを全くはずして戦争が必要と米軍が判断したら自衛隊は世界中どこへでも米軍の指揮下に入ってたたかわなければならなくなったのである。

■平和は武力では得られない
2006年版の防衛白書によると「専守防衛とは、相手から武力攻撃をうけたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限度野茂のに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう。」と説明している。ここでわざわざ「憲法の精神にのとった」と強調しているのは憲法9条が自衛のための武力の保持と行使を禁じているからである。第9条2項は「戦力の不保持」を明確に禁止しているが歴代保守政権は「自衛力は」は戦力ではない。実力組織としての自衛隊は軍隊ではない」と主張してきた。その主張は第9条は「主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない」という政府解釈に基づいている。しかし、第9条はそもそも第1項において「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を放棄している。さらに第2項はどのような戦力ももたないことと、国の交戦権を認めないことを規定している。その意味で憲法9条は人類史において画期的な意味を持っている。とりわけ第2項が規定する戦力不保持と国の交戦権の否認は世界の憲法にもまれな先進的な条項である。ゆえに戦力・武力の保持を前提とする専守防衛論の自衛隊も明らかに戦力・軍隊であるがゆえに憲法違反である。現に日本は太平洋戦争において2300万人の尊い命を殺戮した。日本は敗戦において侵略戦争の反省と平和は武力によっては得られないという反省のもとに9条を提案した。それゆえこれを国防軍に変えることは決してゆるされないことである。また、この9条ゆえに70年間戦争しない、また巻き込まれることはなかった日本である。平和は武力や戦争によっては得られない。この反省・9条への回帰こそ真の平和をつくり出す原点である。

■隣国への四つの心得
こうした中で日本が位置する東北アジアでは朝鮮民主主義人民共和国をめぐる緊張感が続いている。たしかに北朝鮮による弾道ミサイル発射や核実験は、日本をはじめとする周辺諸国にショックと脅威感を与えた。核開発にせよ、拉致問題にせよ、北朝鮮政府の行動は納得のいかないものばかりである。しかし、北朝鮮はナチス・ドイツやかつての軍国主義日本のように領土拡張政策をとっているわけではない。そもそも北朝鮮は他国と戦争をするどころか自国民を食べさせるにも事欠くほどの国力しかない現状である。そこでわたしたちは北朝鮮の瀬戸際外交を批判すると同時に今にも日本にミサイルが飛んでくるかのように北朝鮮の脅威を過大に言い立てる政治家や軍拡論者、一部メディアに対してもはっきり反論する必要がある。これまでの北朝鮮の行動は六者協議や米朝会談居おいて有利なカードを握るための準備と見るべきである。
北朝鮮だけではなく中国、韓国との関係を考える際に忘れてはならないことがある。
第一は中国、韓国、北朝鮮はこれまで一度も日本を侵略したことがない(元寇を除く) のに対して、日本は豊臣秀吉の朝鮮侵略以来、日清戦争・日ロ戦争と1930年代から1945年に至るまで何度も朝鮮半島を侵略し、朝鮮全土と中国東北部を長期にわたって植民地化し、多大な被害と殺戮を繰り返したという歴史的事実である。
第二はいわゆる村山談話以来の歴代の首相が公式の場でその内容を再確認しているのにもかかわらず、一方で政府要人を含む多くの有力政治家が歴史を歪曲し、侵略戦争を弁護・正当化するような言動を繰り返してきた事実である。これは偏狭な歴史修正主義とナショナリズムであるが、今日政治家レベルだけではなく小泉元首相の靖国参拝を契機に戦争の悲惨さを知らない若い世代を含む一般市民にも広がりを見せている。
第三は今の日本は軍拡路線をひたすら走り、世界でも五本の指にはいるほど有数の軍備を擁し、さらに最強国アメリカと軍事同盟を結んで出撃基地を提供し、現にアフガニスタン・イラク戦争においては出兵し侵略の一端を担っているという事実がある。
第四は、尖閣諸島の問題について明らかなように外交の劣悪さである。尖閣諸島の問題は日本と中国が棚上げにしてあった問題であった。ところが、民進党政権時、日本が一方的に我が国の領土としてしまったことからの紛争である。あまりにも一方的なエゴイステックな対応であった。政府はこれを
自ら招いたことであるのにもかかわらず中国の脅威を煽り軍拡に利用している。
これら四つの事実は、中国や北朝鮮半島に住む人々が日本に対して不安感や危惧を抱いても決して根拠がないとは言えないことばかりである。というよりもこれらの事実から日本政府並びにその関係者はかつての侵略の事実に真面目に取り組もうとせず、これを裏返して彼らは現憲法(9条の2項)
では今にも攻めてくるかも知れないから、さらに軍備を増強してこれに備えなければならない、と国民を煽り、国民を軍拡と米軍との一体的な軍事行動のために利用するだけ利用する魂胆である。そこでわたしたちが今、しなければならないことは「あの国が攻めてくるかも知れない」という現政権のプロパガンダには決しての乗らないことである。彼らは攻めては来ない。侵略してきたら、かつての侵略者・日本と同じように国を滅ぼす敗残者となることを知っているからである。日本の政権は愚かにも、自らが侵略者となったことも東京裁判も否定し、靖国神社にA級戦犯を祀りアジアの救世主であったと誤認して米軍と共に世界の覇者となる幻想を抱いて国民いじめをしているのだから正気の沙汰とは言えない存在である。

■ あきらめるな 米軍撤退は可能。
1950年、日本の警察予備隊の創設者となったフランク・コワルスキー大佐は憲法9条について次のように言っている。「1947年に憲法が発布されてからの数年間憲法9条は再軍備を禁止する条項として日米双方に受け入れられていた。しかしこの見解は、1950年に日本から朝鮮へ向けて占領軍が出撃したとき、完全に崩壊した。アメリカが日本の保守政権と足並みを揃えて日本の憲法を無視した事実は、如何なる詭弁を使っても正当化できるものではない。」憲法9条についてアメリカにもこうした自戒があったのである。しかも、日本政府は「戦争になったら自衛隊はアメリカ軍と一体となって戦場にゆく」という密約があったにもかかわらず、憲法9条を盾に2015年の安保法制までこれを拒否・抵抗してきた。それは安保法制によって再び憲法9条が無視され崩壊した。と言える。しかし、憲法9条は制度的・政治的には無視され崩壊したが、復活してわれらの指標として生きている。ゆえに、この憲法9条の政治的・制度的な復活を目指して力強くたたかってゆこうではないか。
日本の戦後70年、それは日本とその背後にいる米軍を憲法9条によって縛ることが出来た70年であった。その意味で憲法9条は立憲主義の最たるものであり、今後の日本の政権をも縛るものである。国民を縛る自民党の憲法草案に抗して現政権を縛りつづけるたたかいを構築してゆこうではないか。
よく日本人は沖縄に米軍がいるのも、本土をはじめ首都圏に米軍がいるのも「戦争に負けたからしかたがない」と言います。しかしそんなことは全くない。毅然として、国際社会のルールにのとって交渉すれば、イラクのように戦争で惨敗し、GDPは日本の50分の1であり、隣にイランという巨大な敵国を持つ国でも米軍を撤退させることは可能なのである。
また、日本人のほとんどが日本はれっきとした独立国であると思い込んでいる。しかし、独立国の三つの要素・国民、領土・領域と主権は前述の二つの密約において成立していない。確かにわたしたち国民はいる。しかし日本の上空は外国軍によって支配されていることから事実上国境はなく主権も成立していない非独立国なのである。
そこで、今わたしたちに与えられている大きな課題が二つある。
一つはアメリカに隷従する政権を倒すこと。もう一つは新しい政権と共に毅然として米軍と交渉において米軍撤退を勝ちとり領土と主権を取り戻し独立国となることである。共に頑張ろう。
2016年12月2日
矢澤新一郎
参考資料
伊藤真著 「赤ペンチェック自民党改憲草案」 大月書店
市民意見広告運動著 「武力で平和はつくれない」 合同出版
矢部寛治著 「日本はなぜ、戦争ができる国になったのか」 集英社
前泊博盛編著「日米地位協定入門」 創元社

第6回20160904憲法談話室の報告

9月4日に開催した第6回憲法談話室の報告

今回のテーマは緊急事態条項。講師は憲法を考える千葉若手弁護士の会の土居太郎弁護士であった。

■緊急事態条項とは何か
さて、緊急事態条項とは何だろうか。憲法学者・芦部信喜氏によって次のように定義されている。「戦争、内乱、恐慌ないしは大規模な自然災害などで、平時の統治機構では対処できない非常事態において、国家権力が国家の存立を維持するために立憲的な憲法秩序・基本的人権と三権分立を一時停止して非常措置をとる権限・国家緊急権のこと」
この定義からは三つの注視すべき点がある。
一つは、これはあくまでも非常事態においてとられる権限・制度である。
二つは、国家権力・政権が、国民のためではなく国家の維持のために平常時とは異なる行政権をとること。
三つ目は、政府への過度な権力の集中によって国民の基本的人権と司法・律法・行政の三権が停止ないしは過度に制約を受けることである。

現代社会において一番大切なことは基本的人権である。これは万人が世界史の中でつくりあげてきた最大にして最高の財産である。国家もこの基本的人権を実現するためにつくられた一手段である。三権の分立も国家が権力を濫用しないように互いに牽制し合うようにつくられた人権を実現するためのしくみである。ところがこの国家緊急権は万人が世界史の中でつくりあげてきた基本的人権思想とは全く真逆である。なぜなら一番大事なのは国家であり、これに権力が集中され、国家のために万人の基本的人権が強度に制約されることになる。人権実現のための国家が目的となり、万人の基本的人権が国家によってないがしろにされるのである。この構造はフランス革命前・人権思想が出る前の絶対王政と同じ構造である。現に国家という言葉を国王という言葉に変えてみればこのことが明らかになる。日本の場合には戦前・戦中の天皇(あるいは天皇を利用した当時の軍隊を含む政権)に置き換えてみれば明らかとなる。
いや、緊急時だから人権の制約や三権分立の停止はやむを得ないだろう、という論法がある。しかし、緊急時であるからこそ人権の保障や権力の分立は必要であり、これを一時とはいえ停止するのは危険きわまりない。人類が世界史の中でつくりあげてきた最大にして最高の財産・基本的人権と国民を大きな危険に晒すことになる。

■現に国家緊急権は歴史的に多くの国で濫用されてきた。
一つは不当な目的で使われた歴史がある。国家とは一般的には政府・議会・裁判所を意味するが、行政府は緊急事態ではないのに緊急事態だと言って強大な権力を握り、不当な目的でこれを駆使し国民の人権を制約しがちである。
二つには期間の延長である。政府は緊急事態が去った後も、一端握った強大な権力をなかなか手離さないで期間を延長してきた歴史がある。延長された期間、人権保障の停止あるいは制約はずっと続くことになる。
三つには、裁判所と議会の働きが停止あるいは制約を受けるため議会と裁判所の政府に対するコントロールが一切できないことになってしまう。

■自民党の憲法草案・第九章 緊急事態
(緊急事態の宣言)
第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することが出来る。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を越えるごとに事前に国会の承認を得なければならない。
4 略
(緊急事態の宣言の効果)
第99条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係わる事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せされる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第14条、第18条、第19条、第21条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 略

■立法権と予算議決権が内閣に移行
さて、上に掲げた自民党の緊急事態条項はどうであろうか。
自民党草案は98条と99条にそれを掲げている。現在の国会で安倍総理は自民党草案は行政府の作成したものではないという言い訳をしているが、その本音を語るものであることは明らかである。
98条の一項で「外部からの攻撃、内乱、地震その他法律の定める緊急事態において、内閣総理大臣が、閣議にかけて緊急事態の宣言を発する。」とある。そして同条二項で第一項の緊急事態宣言は「法律の定めるところにより事前または事後に国会の承認を受けなければならない」としている。
ところが、99条一項では「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することが出来る」となっている。これは緊急時には立法権が国会から内閣に移ることを意味している。これはかつての大日本帝国憲法の緊急勅令と同じである。またこの後には「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行う」とある。これも大日本帝国の緊急事態財政処分と同じであり、国会の予算議決権が内閣総理大臣に移ることになる。
また、現憲法における緊急事態の宣言は、平常時においても、災害対策基本法と国民保護法があるから、大災害や外国の攻撃、内乱等の重大な事態が生じた場合は国会を開催して国会において論議をし国会の過半数の議決を経て様々な対応をすることが可能である。しかし、自民党草案98条1項に緊急事態の要件には「法律の定めるところによる」と記されている。そして、この法律とは、99条一項にある「法律と同一の効力を持つ政令」のことになる。ゆえに、内閣あるいは内閣総理大臣において緊急事態の法律をつくり緊急事態宣言をし、緊急事態体制に入ることが出来るということになる。しかも、98条2項には「事前・事後に国会の承認を得なければならない」とある。しかし、これは国会における論議と議決を経ないで内閣だけで法律をつくり、緊急事態を適用の事前あるいは事後に国会の承認を得るというものである。また、98条項3項には「国会で不承認の議決があった場合や緊急事態の宣言を解除すべきであるという議決がなされた場合には速やかにこれを解除しなければならない」とある。しかし、事後の国会の承認を得ることについて期限が書いてない。昨年・2015年、安倍政権は衆議院議員の四分の一以上が、臨時国会の召集を求めたところ、憲法53条に「いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」とある。にもかかわらず、臨時国会を召集しなかった。理由は「期限が書いてない」ということであった。ということは、国会における解除の議決を実施しないで、これを放置することができるということになる。全く国会をないがしろにした緊急事態条項である。

■緊急事態の延長の危険性
自民党案には緊急事態の期間の制限が設けられていない。ゆえに危険が去った後も、長期間緊急措置が継続される危険性がある。国の緊急事態権はあくまでも緊急事態という例外的な事態に対する措置であるから緊急事態の期間は厳格に定められる必要がある。ところが制限が設けられていない。
また、98条には「100日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、100日を越えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。」とある。過去参議院の緊急集会は2回行われている。一回目は請求から五日目に開催され、二回目は請求から四日目に開催された。それからすれば100日はあまりにも長過ぎる。これでは東日本大震災から5年たった今でも「非常事態」であると言うことができることになる。

■過度な権力集中と人権制約
自民党案では、緊急事態において内閣は法律と同等の効力を有する政令を制定できる。法律に代わる政令を発することが出来るということは、たとえ国会が閉鎖中であっても内閣は政令を制定できるということになる。従って前述の通り、政府の律法と財政処分に対して国会・国民のコントロールが及ばないことになる。これは人権の制約についても言える。草案の99条の三項には「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係わる事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第一四条、一八条、十九条、二十一条その他の基本的人権に関する規定は最大現に尊重されなければならない。」とある。しかし政令で制定できる対象については一切明文化されていない。従って「人権に関する規定は最大限に尊重されなければならないと」と記されているが、全ての人権を制限できるし、全てに事項について政令が制定できる条文である。上記の十四条、十八条、十九条、二十一条はいずれも自民党草案にある人権保障に関する条文であるが、これらは草案の十三条にある通り現憲法にある公共の福祉に基づいた人権保障ではなく公益・公の秩序による人権保障条文であるから、国家の公益・国家・公の秩序にもとづいて発せられた政令からは現憲法において保障されている全ての人権が制約できる政令を制定することができる。
全ての事項について政令を制定できるということは権力が過度に政府に集中することであるから、公職選挙法を与党に有利な内容に改正することもできる。戒厳令も制定できる。国民の如何なる人権をも制約することができる。そうなると主権者である内閣は国民の報道の自由と知る権利を制限することになる。この報道の自由は主権者である国民の知る権利に奉仕する権利である。しかし、政府がこの報道の自由を制約することによって主権者である国民に必要な政治的・社会的な情報が入ってこなくなる。そうなれば国民は政府の行動をチェックし、国民の意思を国政に反映することができなくなる。だから、政府は国民とは無関係にどんどん暴走できる事態となり、政府は独裁政権になる。
安倍政権は2013年12月に特定秘密保護法を制定した。これは国民の知る権利にも、報道の自由にも制約を加えるものであり、何をしたら処罰されるのかが全く分からない法律である。これは極度に人権を制限し、人の行動を萎縮させる。したがってこの内閣に緊急事態条項についての自己抑制を期待できるかと言ったら回答は明らかにノーである。
また、国会の立法権が完全に内閣に移転する。これはナチスのときと同様の授権法・全権委任法である。政府の独裁を容認する極めて危険な内容である。ナチスの場合は第一段階で国家緊急権を発動して反対党員を逮捕・拘束した。そして第二段階で議会で授権法・全権委任法を強行裁決して独裁を確立した。自民党案の場合は既に国家緊急権の中に全権委任法が入っているため国家緊急権を憲法に創設して発動すれば直ちに独裁が確立する。ゆえに緊急事態条項は「独裁条項」であり、ナチスの国家緊急権より危険な内容である。
帝政崩壊後に発足したワイマール共和国の「国家権力は国民に由来する」と明記し基本的人権の尊重と議会制民主制を保障した。一方で憲法は、危急時には基本的人権を制約して必要な措置を講じることが出来る大統領緊急令を認めていた。
ナチスは、32年の総選挙で第一党に躍進。ヒトラーは元軍人のヒンデンベルク大統領に取り入り、首相任命を得ると大統領緊急令を乱発した。国会議事堂放火事件を口実に反対勢力を弾圧、言論の自由を制限し、政府を批判する集会を禁止した。仕上げは国会審議なしに法律をつくる全権委任法制定。憲法違反の法律制定も可能になり、ナチス以外の政党を禁止して一党独裁化した。
我が国の場合、この草案が万が一国会において通るとなると、怖いのは、上記のナチスのように緊急事態の発令によって現憲法下で民主的であり合憲であるとされたことも真逆の憲法違反の法律制定が日常化されることである。既にわたしたちは、それを安保法制において味わわされている。また、国民は戦前・戦中の最悪にして暗黒の日本を生きることとなる。ゆえにこの草案は決して通してはならない、阻止すべき草案である。

■戒厳令
戒厳とは非常事態に国の統治権のかなりの部分が軍事官権に移る制度である。自民党案では緊急政令の規定の対象事項に限定がないので「戒厳令」を制定することも可能になる。この戒厳令の発動要件について災害やテロを加えることも出来る。災害やテロであれば自衛隊を被災地の救助ではなく、被災地の暴動の抑止や治安の悪化防止のためにも出動させることも出来る(自衛隊法78、81条)。又、災害の場合には流言の防止などを理由に報道の禁止やインターネットの通信も制限される可能性がある。テロの場合はテロ誘発の防止や捜査の理由で報道やインターネット通信の禁止や集会の禁止措置がとられる可能性もある。加えて、自民党の改憲草案では国防審判所(国防軍の軍法会議)が設置されることになるので(9条の2)、戒厳司令官・内閣総理大臣は行政・立法だけでなく、この規定によって司法権も得ることが出来る。あなおそろしや。

■国家緊急権発動前の状態に復元できるか
アメリカの場合を考えてみよう。アメリカの場合は不文の国家緊急権があってこれまでも何回も行使されている。
しかし、アメリカの場合は厳格な権力分立の制度がある。
大統領は議会に法案提出権がない。戦争するときは戦争を決定するのは議会。軍隊を指揮するのは大統領である。権力がきちんと分立している。司法審査についても厳格な審査決定権があって緊急時に大統領が出した法令に対しても
憲法に違反した法令であるならばその全てについて違憲判決を出している。民意もイギリスから独立して自分たちの権利を勝ちとった憲法を制定した歴史があることから権力に対する警戒心、人権尊重の度合いが高い。ゆえに、立憲的コントロールによる復元力はあると考えられる。
日本の場合はどうだろうか。
日本の場合、国会は政府を統制できるかというと、日本はアメリカと違って議院内閣制をとっている。それゆえ国会の多数派が政府をつくっている。そのため国会が政府を統制することは難しい。それでは司法の統制はどうだろうか。現在でも法律や命令の違憲判決はめったに出ない。司法は政府の行為を追認するか、憲法判断を回避するかである。現在でも公共の福祉による人権制約は大きく容認されている。この上、国家緊急権の制度がもうけられたら司法の政府への
統制は全くなくなる。
民意はどうだろうか。日本の場合、国のやることだから信用する。国に任せておけば何とかなる。という気持ちの人が多くはないだろうか。現憲法の前文には「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある。つまり、国は国だから権威があるのではない。国は主権者である国民の信託を受けているから権威があるのだ。しかし、日本の場合、権威がある国に任せておけばなんとかなる。国のやることだから信用する。その結果、その福利を受けるのは大企業や官僚や政府である。だから緊急事態権によって政府が一端握った権力を手放すことは大変困難と考えられる。

■おわりに
それでは今後どうすればよいだろうか
一つは、憲法に国家緊急権は決して設けさせない運動を力強く展開すること。
二つは、わたしたちの日常生活と反権力運動を通して国民一人びとりが憲法に保障された人権意識を互いに高めあい
一人でも多くの人々が現政権が一体何をやっているかについて気づいてもらうこと。
三つは、わたしたち国民が主権者であることに気づいてもらうことである。
各持ち場立場で互いに頑張ろう。
2016年10月19日 矢澤新一郎

今回の参考資料は次の通りである。
永井幸寿著「憲法に緊急事態条項は必要か」
岩波ブックレットNO.945
伊藤真著「赤ペンチェック自民党憲法改正草案」大月書店
石田勇治著「ヒトラーとナチ・ドイツ」講談社現代新書
関西学院大学災害復興制度研究所編「緊急事態条項の何が問題か」岩波書店東京新聞2016年10月4日朝刊
「論説委員のワールド観望」

第5回憲法談話室の報告

8月7日第5回憲法談話室の報告
矢澤新一郎
憲法談話室は8月7日(日)、「原発」をテーマ第5回目の談話室を開いた。講師は千葉若手弁護士の会の藤岡拓郎弁護士であった。この談話室を通して大変残念であるが、日本は立憲国家でもなく、法治国家でもなく、自主独立国家でもないことが明らかとなった。
以下はその具体例である。
2011年8月、福島第一原発から45キロ離れた名門ゴルフ場が、コース内の放射能汚染がひどく営業停止に追い込まれたため、放射能の除洗を求めて東京電力を訴えた。ところが、この裁判で東京電力側の弁護士が驚くべき主張をした。それは「福島原発の敷地から外に出た放射性物質は、すでに東京電力の所有物ではない「無主物」である。したがって東京電力にゴルフ場除洗の義務はない。」無主物とは「だれのものでもないもの」という意味であり弁護士が東電の責任逃れのために使ったことばである。これについて東京高裁は、さすがに「東京電力の所有物ではないから除洗の義務はない」という主張は採用しなかった。しかし「除洗方法や廃棄物処理のあり方が確立していない」という理由をあげて、東京電力に放射性物質の除去を命じることは出来ないとしたのである。
わたしたちは、日本には汚染を防止するための法律はないのか?と考える。しかり日本にもこれを防止するための法律がある。大気汚染防止法、土壌汚染対策法、水質汚濁防止法がそれである。しかし、大気汚染防止法第27条一項には、「この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染およびその防止については適用しない。」とある。また、土壌汚染対策法の第二条一項には「この法律において特定有害物質とは、鉛、ヒ素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)である。」とある。そして水質汚濁防止法第23条一項には、「この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁およびその防止については適用しない。」とある。
さらには環境基本法(第13条)においても放射性物質による各種汚染の防止について記されている。しかし「原子力基本法その他の関係法律で定める」とあるのみで今現在、何も定められていない。それゆえ、わたしたちはゴルフ場汚染裁判における東電側の弁護士の不可解な主張の意味についても、ああそういう意味だったのかと知ることができる。即ち、東電側はたとえ放射能がゴルフ場を汚染していても法的には汚染じゃないから除洗も賠償もする義務がない、と主張したのだ。とすれば家や畑や海や大気も同じことになる。しかし、東電はこれを正直に公表したら暴動が起きるだろうから今は「原子力損害賠償紛争解決センター」という機関をつくって加害者側のふところが痛まない程度に勝手に金額を決めて支払い賠償するふりをしているのである。
上記の環境基本法の第13条は福島原発事故から1年3カ月たってから削除された。同時に大気汚染防止法と水質汚濁防止法における放射性物質の適用除外の規定も削除された。ただし、13条が削除された結果はどうなったのだろうか。なんと放射性汚染については、ほかの汚染物質と同じく「政府が基準を決める(16条)」「国が防止のために必要な措置をとる(21条)」ということになったのである。しかし、肝心かなめのその基準は何も決められていないのである。だから、法律が改正されても放射性適用除外はつづいている。だから、もし、次の事故が起きて、あろうことか政府が100ミリシーベルトのところに人を住まわせる政策をとったとしても国民は法的にそれを止める手段がない。いま、日本はそのような人権無視の法制度のもとにあるのだ。
何故なのか。わたしたちはもう5年もたつのに政府は何をやっているのかと思う。しかし、その答えは日本政府だけでは決められないからがその答えである。環境基本法の改正とほぼ同時に原子力基本法が改正された。そしてその2条2項に原子力に関する安全性の確保については「わが国の安全保障に資する(=役立つ)ことを目的として行うものとする」とある。どういうことだろうか。日米間の協定の中に日米原子力協定という名の協定がある。これは日米地位協定と同じで日本側だけでは何も決められない構造をもった協定である。決めていいのは電気料金だけである。その12条4項にこうある。「どちらか一方の国がこの協定のもとでの協力を停止したり、協定を終了させたり、核物質などの変換を要求するための行動をとる前に日本両政府は、是正措置をとるために協議しなければならない。そして要請された場合には他の適当な取り決めを結ぶことの必要性を考慮しつつ、その行動の経済的影響を慎重に検討しなければならない。」
だから砂川裁判以来、日本政府と最高裁は国家レベルの安全保障に関する問題については絶対に憲法判断をしないという現憲法を無視しその機能を停止する判断に徹しているが、原発に関する安全性の問題も全く現憲法の機能を無視、停止し、すべて法的コントロールの枠外へ追いやる行政を続けているのである。その行き着いた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被爆し続ける中で川内・伊方原発の再稼働、並びにインドやトルコへの原爆輸出という狂気の政策である。
現憲法第81条には「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」とある、しかし今の最高裁判所と政府は日本国憲法よりもアメリカとの条約を上位に置いているために日本国の憲法に全く違反した存在である。
福島原発事故によって原発の安全神話は崩壊した。しかしアメリカ政府の背後には国際原始村と呼ばれるエネルギー産業や国際資本がある。また安倍政権の背後には官僚組織や原発利権を諦められない貪欲な政治家たちがいる。原発によって核武装の夢を追い続けている右派グループもいる。それゆえアメリカをはじめこれらの原発を動かそうとする勢力に従順に従う安倍政権は原発再稼働と輸出という狂気の政策を推し進めているのである。
沖縄の米軍基地墜落事故では、米軍が現場を封鎖して情報を隠蔽した。そしてしばらくすると米軍が「安全性が確保された」と言って平然と危険な訓練を再開した。福島でもその後、実際にそうしたいと画策しているかも知れない。沖縄イコール福島なのだ。その沖縄には1957年日米間で交わされた秘密文書がある。「新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持しつづける権利も、米軍の判断にゆだねられている。」この密約から考えられ場ば福島の今後もアメリカにゆだねられていることになる。「外国軍が駐留している国は独立国ではない。」これは世界の常識である。一日も早く独立した国になろうではないか。
福島では20万人の人々が家や田畑を失い、仮設住宅で明日をも知れぬ日々を送っている。いくら室内を拭いても戻ってしまう放射線の数値。家の周辺を除洗してまたもとに戻ってしまう数値。とくに小さなお子さんを持つお母さん方の苦しみは言葉には言い表せないものがある。ましてや事故後300キロ圏内に住む18歳以下の人々に甲状腺癌が激増(平常値の70倍)しているという知らせに接したとき彼らの未来と日本の未来をうれえる。
それにしても、誰もが大変おかしいと思うのは、福島の原発が歴史的な大事故を起こし無数の人々の家や田畑を奪っておきながら、その責任を問われた人物が一人もいないということである。なぜこの大惨事の加害者は罰せられないのか。警察はなぜ東京電力に捜査に入らないのか。安全対策は万全だったのか。なぜ検証しないのか。そして家族や家や田畑を失った被害者になぜ、正当な補償が行われないのか。2012年1月8日、当時の井戸川町長は福島県庁で面会した当時の野田佳彦首相にこう訴えている。「われわれを国民とおもっていますか。法のもとの平等が保障されていますか、憲法で守られていますか」
ここに「原発がどんなものか知ってほしい」という一文がある。これは平井憲夫さんという20年にわたって福島、浜岡、東海で14基の原発建設を手掛けた現場監督が書いたものである。彼はこの一文を残した後長年の被爆によるガンのため1997年に亡くなられた。まだ57歳という若さだった。彼は核のゴミについて次のように書いた。

「どうしようもない放射性廃棄物」平井憲夫

原発を運転すると必ず出る核のゴミ、これは 毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は 低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間 もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。
日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこ の原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海 に捨てていました。その頃はそれが当たり前だった のです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉 の沖に捨てに行っていました。
しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は 一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと 思ったのがはじめでした。
現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから 三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年も続くのかどうか。どうなりますか。
もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残っ た放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの 会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。 この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。
原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早 く、原発を止めるしかなんですよ。
私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。
それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ 経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

ところで、いま、日本政府や自民党はこの原発をどう考えているだろうか。驚くべきことに「核を軍事的な抑止力とみている。そしてやめるべきではない(石破茂)と考えているのである。これを上記の平井憲夫さんが聞いたら、なんと言うであろうか。「原発を核兵器・武器にするつもりなのかい。冗談はよしてくれ。原発で何人の人を犠牲にしたら気が済むのかい。犠牲はわたしたちだけでたくさんだ。原発は抑止力どころか日本中を核のゴミだらけにするんだよ。抑止力というが54基もある原発がテロ実行犯に狙われたらどうするんだ。抑止力どころか、かえってテロ誘発所になってるよ。狙われたら日本はなくなるよ。早く原発をとめてくれ。」
わたしたちも平井さんの犠牲を無駄にしないように反原発運動に励もうではありませんか。
(2016年9月20日記)

第4回憲法談話室(7月3日)の報告

ー現憲法はGHQによって押しつけられたものかー

日本国憲法についてウィキベディア(フリー百科事典)で見てみた。次のように記されていた。
「日本国憲法は、1947年(昭和22年)5月3日に施行された、日本の現行憲法である。昭和憲法、あるいは単に現行憲法とも呼ばれる。
1945年(昭和20年)8月15日に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つは、日本国憲法を特徴付ける三大要素と呼ばれることもある。」
安倍政権はこの現憲法についてGHQに押しつけられた憲法である。だから改正しなければならない。という論陣を張っている。そして憲法改悪のために躍起になっている。
今回の憲法談話室では、千葉県の九条の会事務局長・野口宏氏を講師に、現憲法はGHQによって決して押しつけられたものではなく日本の憲法学者・鈴木安蔵をはじめとする「憲法研究会」の作成した憲法草案を手本としたものであったこと。また、憲法九条は当時の幣原喜次郎首相がマッカーサー元帥との会談の中で幣原首相から提案したものであったこと。そして当時の毎日新聞の世論調査により現憲法は圧倒的な多数で国民に受け入れられたことが明らかにされた。

それでは、まず、憲法学者・鈴木安蔵とはどんな人物であろうか。鈴木安蔵は福島県小高町生まれ相馬中学校、第二高等学校文科甲類を経て京都帝国大学文学部哲学科に入学。その後社会の矛盾に対抗するため経済学が必要との考えから経済学部に転部。1926年治安維持法違反第一号「学連事件」で検挙され自主退学。以後、憲法学、政治学の研究に従事。民衆の立場に立つ憲法学を成立させる。1937年衆議院憲政史編纂委員。1945年「憲法研究会」案の『憲法草案要綱』を起草。
戦後まもなくの日本では民主主義国家の形成に向けて知識人たちがいち早く行動を開始した。そして、当時大日本帝国憲法にかわる、真に民主的な新憲法は民間人から生まれてしかるべきだという気運が彼らを取り巻いていた。鈴木安蔵はそんな時代の流れの中で高野岩三郎、森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄、杉森孝次郎らと民間の「憲法研究会」を結成した。メンバー唯一の憲法学者である安蔵を中心に、彼らは新しい時代に求められるべき憲法を探るため草案完成に向け論議を重ねて力を尽くした。そして日本政府によって作成された憲法草案は大日本帝国憲法と基本的には代わり映えしないものとGHQ側にはね返されたが、「憲法研究会」が熟考を重ねてGHQに提出した草案は、真に民主的なものであると高く評価され、GHQによる憲法案の作成に大きな影響をあたえ、結果として、このGHQ草案を元に作られた現行日本国憲法は少なからぬ点で共通する部分を有していた。鈴木安蔵が現憲法の間接的起草者といわれるゆえんである。
このことは丁度10年前に上映された大澤豊監督の映画「日本の青空」において世に明らかにされた。しかし、今「日本の青空」に暗雲が立ちこめている。「青空」は断じて暗雲に変えてはならない。

次ぎに幣原首相が九条の提案者であったということであるが、これは昭和37年2月に行われた憲法調査会事務局の平野三郎氏による幣原首相のインタービューによって明らかとなっている。それは昭和21年1月24日に行われた。その時、幣原首相はこう語っている。「第九条の永久的な規定には彼も驚いた様子であった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、懸命なマッカーサー元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。」
これについて元帥もこれを認めた手紙が発見された。手紙の発見者は堀尾輝久・東大名誉教授である(東京新聞2016年8月13日朝刊)。それによると憲法調査会の高柳賢三会長が58年12月10日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案たか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。するとマッカーサーから15日付で返信があり「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行った」と明記。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結んでいたのである。これは両者が言っているのだから間違いがあるはずがない。

また、新憲法草案への国民の世論であるが、1946年5月27日づけの毎日新聞の世論調査によると、次の通りであった。
戦争放棄 支持71% 反対は29%
全体 賛成85% 反対は13%でった。
実に高い国民の評価であった。当時の世論は押しつけられたものとは決して考えてはいなかったのである。

2012年に発足した安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を声高に叫んでいる。レジームとは「国家体制・国体」のこと。だから、安倍政権は現在の国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定めた現憲法・国体の解体、また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めた「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の国体・憲法を廃棄し、戦前回帰を狙った偏狭な独裁政治を行っているのである。論より証拠、安倍政権は戦前・戦中の国体を反省・回心・批判しているであろうか。否。この間の日本の軍隊と国家神道(宗教と皇族と教育を利用した政治的なイデオロギー)が国の内外において行ってきた非人道的な行為を批判していない。それどころか、愛国の道としてこれを評価・奨励し亡国道を邁進しているのである。とりわけ現憲法の廃棄は2012年に世に出された自民党の憲法草案に明らかである。それは国際社会で重視されている人権や人道を重んじた価値基準よりも国家の利益を最優先する内容であり、憲法が政権を縛る立憲主義ではなく国が国民を縛る非民主的な戦前回帰の憲法となっている。
今回の参院選で安倍政権は3分の2の議席を手にした。これによって憲法改悪が加速した。なぜ、国民・わたしたちは亡国の道を選択したのであろうか。それは安倍政権の実態とその正体が国民に明らかにされず隠されているからである。その意味でマスコミの罪は重くて大きい。何よりも目覚めていない国民自身の怠慢と罪は重くて大きいものがある。今、わたしたちは現憲法を知ることによって国民主権と立憲主義に目覚め、今後は立候補者の知名度や人気度による投票をしないことである。日本の明日・わたしたちの明日は国民主権と人権尊重と平和主義に徹した憲法にかかっている。わたしたちの人生と社会と国を戦前回帰の憲法・国体に託してはならない。
<2016年8月30日 矢澤新一郎>