第3回憲法談話室(2016.6.5)の報告

憲法談話室(第3回6月5日)の報告
 この日のテーマは憲法九条、講師は憲法を考える若手弁護士の会の足立啓輔弁護士であった。

 この憲法九条については、実に様々な論議が交わされている。しかしこの九条がどんな意味であるかは、1947年・昭和22年8月2日に文部省が発行した中学校1年用の社会科教科書『あたらしい憲法のはなし』に明らかにされている。そこでこれを転記しよう。
 戦争の放棄
 みなさんの中には、こんどの戦争におとうさんやおにいさんを送りだされた人も多いことでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いことでしょう。いまやっと戦争は終わりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったのでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には大きな責任があるといわなければなりません。この前の世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手をごまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんのくにをほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえて、ゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

 この『あたらしい憲法のはなし』は1947年の8月から1952年3月まで使われた。しかし、1952年の4月から姿を消した。なぜだろうか。
 実はこの占領終結直後の1952年7月23日と1954年の2月8日の2度、当時の吉田茂首相は極東米軍の司令官と口頭で二つの密約を結んでいる。それは1950年に6月に起こった朝鮮戦争で苦境に立たされた米軍が、あろうことか戦争を放棄した日本に戦争協力をさせるために持ち出した密約であった。(矢部宏治・日本はなぜ「戦争をすることができる国」になったのか)
 この密約は二つあった。一つは米軍が日本の基地を自由に使うための密約(基地権密約)。もう一つは日本の軍隊を自由に使うための密約(指揮権密約)である。この基地権密約・日本の基地を自由に使う権利に対して日本政府は核兵器の地上への配備を除いてほとんどすべての要求に応じ、密約を結んできた。今日、この密約の犠牲下にあるのが沖縄である。そして指揮権密約については、専守防衛の名のもとに違憲の自衛隊を創設して、密約で米軍の指揮下に入ることを認めつつもその行動範囲は、あくまでも国内だけにとどめ、国外での軍事行動については2015年までは拒否しつづけてきた。
 ところが、安倍政権が昨年の9月19日に成立させた安保関連法によって状況は一変した。上記の指揮権密約・日本の軍隊を自由に使うための密約があるため日本が海外で軍事行動を行うことになったら、自衛隊は日本の防衛とは全く関係のない場所でも米軍の指示のもと殺し殺される軍事行動に従事することになった。そのため、日本が自分で何も決断しないうちに、戦争の当時国となる危険性を抱えたのである。
 
 この戦争当事国となる危険性はどこから来るのだろうか。日本が憲法よりもアメリカとの密約と地位協定を重んじているからである。1957年7月、米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が米軍基地の敷地内に数メートル入ったことを理由に、刑事特別法違反で7人が逮捕された。この事件の一審裁判で東京地裁・伊達秋雄裁判長は、在日米軍は憲法第九条2項で持たないことを決めた「戦力」に該当するためその駐留を認めることは違憲である。したがって刑事特別法の適用は不合理として被告全員を無罪とした。この伊達判決は1959年3月30日に出された。しかし、その翌日からはじまったアメリカ大使とアメリカ国務省と外務省・日本政府と最高検察庁の働きかけによって、同年12月16日に出された最高裁による砂川判決によって覆された。米軍基地をめぐる最高裁のでの審理において最高検察庁がアメリカの国務長官の指示通りの最終弁論を行い、最高裁長官は大法廷での評議の内容を細かく駐日アメリカ大使に報告したあげく、アメリカ国務省の筋書きにそって判決を下したことが、アメリカ側の公文書によって明らかになった。
 このことは、戦後の日本では、安保を中心としたアメリカとの密約や条約群が、自分の国の法体系よりも上位に位置していることを意味する。それゆえ、日本は独立した法治国家ではないことを自ら暴露したことになる。このことは今回の安保法制の論議においても明らかとなった。なぜなら、2014年の7月の閣議決定にはじまった壊憲論議と2015年9月19日の国会における強行裁決は国会を取り巻いた憲法を守れの民意をないがしろにしてアメリカとの密約を重んじ米軍の指揮下に入る決断をしたからである。

 憲法九条は先に記した通り、戦力と戦争を放棄したものである。しかし、現政権はこの憲法に違反した行政をいている。悪名高きナチスの全権委任法の第二条には「ドイツ政府によって制定された法律は憲法に違反することができる」という条文があった。これをやったらどんな国だって滅ぶに決まっている。憲法とは主権者である国民から政府への命令、官僚をしばる鎖である。ところが日本の場合は米軍基地をきっかけに憲法が機能停止状態に追い込まれ、アメリカの意向をバックにした行政官僚達が平然と憲法違反を繰り返している現状にある。
 改めて1947年の8月に出された「新しい憲法」に立ち帰る必要があるのではなかろうか。

第2回憲法談話室の報告

           2016年5月1日(日)第2回憲法談話室の報告

5月1日の日曜日、憲法談話室では憲法を考える若手弁護士の会の藤岡拓郎弁護士を講師に2回目の憲法談話室を開きました。テーマは憲法と民主主義でした。その次第は次の通りです。

憲法13条には「すべて国民は個人として尊重される」とあります。この国民とは日本で生活する人すべての人という意味です。ですから、これは個人・人間の尊厳と言われるものであり、日本国憲法の最も重要にして根元的な部分です。それゆえ、日本国憲法の基本的原理は国民主権、基本的人権、平和主義ですが、これらの基本的な原理を支える根元的原理がこの個人の尊重なのです。

<なぜ個人の尊重なのか>
わたしたち一人ひとりの人間は誰一人同じ人間はいないかけがえのない人間です。ぞれぞれがかけがえのない一度きりの人生を生きています。それゆえ一人ひとりがかけがいのない価値を持ち、人・個人として生きる権利を持っています。ですから、その個人として生きる権利は尊重されなければならないのです。これが日本国憲法の最も重要な価値観なのです。この価値観から日本国憲法には13条において幸福追求権が、15条において参政権が、19条において思想と良心の自由が、そして21条において表現の自由が保障されています。

<民主主義とは>
今回のテーマである民主主義とは何でしょうか。一言で言えば、一人ひとりとその人権が保障されることです。個人の尊重には上記の通り人はみな同じという側面と同時にみな違うという側面があります。誰もが人として同じように尊重されるべきですが、誰一人として同じ人間はいません。誰もが個性があり、みな違った人生を生きています。ですから、一人ひとりを尊重するということは、一人ひとりの個性を尊重するということです。そして人の個性はその人のすべてです。性別、年齢、人種、文化、風習、言葉や宗教などのあらゆる違いが個人にあります。これらの個性が集まってその人とその人らしさをつくっています。日本国憲法13条には「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と明記されています。この条文からも日本国憲法は一人ひとりの個性を最大限尊重し、お互いの違い、多様性を認め合い自分と違う者であっても認めて生きる開かれた社会を目指しています。「幸福追求権」これも自分の幸せを追い求める権利です。家族が決めた幸せや地域や社会や国家が決めた幸せを追い求める権利ではなく自分が決めた幸せを追い求める権利です。しかしこれは自分のわがままを通すというような利己主義とは全く違います。みんな違うという多様性を認め合って生きるということです。言い換えれば、社会の表に出て来ることが出来ない人々、差別されている人々、多数派から理不尽なことを押しつけられている少数の人々、不当な扱いをされている人々の立場に立って共に考え、共に生き、共にたたかうということです。

<民主主義と多数決>
今、民主主義は多数決であると決めつけたり、過半数さえ取れれば民主的な正しいあり方であるとする短絡した考え方が蔓延しています。しかし民主主義は多数決ではありません。多数決や過半数を裏返すとどうなるでしょうか。半数に近い人たちが違った意見あるいは反対しているということになります。ですから、国家が半数を取ったから国民の意見であり、民主主義的な決定であるという考え方は全くの欺瞞です。民主主義における「民」は今生きている有権者のことだけではなく過去、現在、将来に生きるすべての国民を指すのであって今過半数さえ取れれば正しいんだ。民主的なんだという捉え方はあまりにも短絡し狭量であり欺瞞です。

<民主主義と立憲主義>
前回わたしたちは憲法と法律の違いについて学びました。憲法と法律は同じ法という言葉で言い表されますが
全く性質が異なります。法律は国家権力よる強制力を伴った社会的な規範・規則のことです。これを守らないと国から罰則が与えられます。国家はわたしたちの自由や権利や社会秩序を守るために法律によって国民を制限します。しかし、国家が国民の自由と権利を守るためと称して好き勝手に法律をつくり国民を不当に制限するケースが出てこないとも限りません。権力者は権力を乱用するものです。そこで国家の暴走にあらかじめ歯止めをかけるために憲法があるのです。ですから、憲法は国家権力の暴走に歯止めをかけて国民の自由と人権を保障するもの、即ち立憲主義の憲法なのです。
憲法99条にはこうあります。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負う。
この条文ではけんぽうを尊重して守る義務を負うのは、天皇をはじめ国務大臣、国会議員などの公務員であり、この中に国民は入っていません。憲法を守るべき立場の人は国民ではなく為政者たちなのです。法律が国民の自由を制限するものであるのに対して憲法は国家権力を制限して国民の人権を守るものなのです。
 そして、この立憲主義と民主主義との関係ですが、この二つは民主主義的な立憲主義という言葉で一つに結ぶことが出来る言葉です。即ち、この二つは二つにして一つ、不離一体の概念であり、決して切り離してはならない言葉です。言い換えれば、今回の安倍政権の戦争法案の強行採決は明らかに民主主義を踏みにじるものであり立憲主義からも明らかに違憲です。ですから、国家権力の暴走、民主主義的な立憲主義を破り捨てる暴挙であって決して許されるものではありません。各地でこの暴挙に対する裁判闘争が始まりました。わたしたちは司法の民主主義的な立憲主義に立った判決を待ちたいと思います。しかしこの司法の裁きにも大きな問題点があります。

<民主的な立憲主義と裁判>
裁判所の裁判官は99条にあるとおり憲法を守る立場にありますが、国民が選ぶことが出来ません。ということは今回のように憲法訴状問題が起きたときに司法・裁判所は国家側にあり、民主主義的な制度の枠外にあるのです。ですからこれまでのように非民主主義的な判決が下されることが多くありす。しかし、裁判所・裁判官によっては民主主義的な立憲主義の立場にたって訴状内容をよく吟味し民主主義的な判決を下すこともできます。現在、安倍政権を相手に戦争法案をはじめ原発訴訟、TPP訴訟が起こされています。わたしたちはこれらの訴訟に民主的・立憲主義的な判決が下されることを大いに期待し、共にたたかいたいと思います。

<おわりに>
今回も良い時を持つことが出来た。特に民主主義的な立憲主義を学ぶことを通して改めて個人が社会や国家の犠牲になってはならない。あくまでも個人のための国家であり、国家のための個人ではない。ことを学ぶことができた。しかし、同時に自民党の憲法草案は、個人は国家のための個人であり、国家のために滅私奉公をすべきである。という真逆の草案であり、政権や公務員が守るべき憲法を国民が守るべき憲法にして国民の自由と権利を剥奪しようとする狙いがあることから、改めて如何に非民主主義・非立憲主義的なデタラメ草案であるかを知ることが出来た。怒りと危機感が増幅した次第です。
次回は6月5日(日)、いよいよ、憲法9条について学びます。講師は憲法を考える若手弁護士の会の足立啓輔弁護士(藤井滝沢綜合法律事務所)です。7月の参議院選挙を前にもう一度平和憲法を学び、平和を創造する一票にしたいと願います。どうぞお気軽にご参加下さい。
                           2016年5月11日  矢澤新一郎

各談話室の報告

2016年4月3日 憲法談話室の報告

4月3日午後2時から千葉大宮キリスト教会において第一回憲法談話室を行った。兒島英樹弁護士(船橋第一法律事務所)を講師に、憲法とは何かについて話して頂いて話し合った。
その内容は次の通りである。

1,国民に主権がある憲法
「日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」それゆえ現行の憲法は主権が国民にあるという基本原理にもとずいて作成されたものである。

2.憲法は主権者である国民が守ものではなく政治を行う権力者が守るべきものである。
憲法は、権力者が国民の権利と自由を保障し守るために、権力者の上位にあり、権力者に歯止めをかけるものである。この考え方を立憲主義と呼ぶ。
この立憲主義の統治機構として三権分立機構ー国会(立法)と内閣(行政)と裁判所(司法)がおかれている。
しかし、安倍政権はこの立憲主義を勝手に破り、覆し、自らに対する歯止めをはずして、逆に国民の声に耳を傾けず、国民の権利と自由を抑圧する政治を行っている。立憲主義を守るための三権分立機構も安倍政権は、これを牛耳り独裁政治を行っている。このことは3月29に施行された安保関連法に明らかである。

3.それでは憲法と法律との違いはどこにあるのだろうか
憲法は国家権力に歯止めをかけるものであるが、法律は社会の秩序を維持するために国民に歯止めをかけるものである。
ところが、安倍政権はなんと政権が守るべき憲法を法律化し、国民に政権が守るべき憲法を守らせようとしている。このことは2012年に4月27日に決定された自由民主党の「日本国憲法改正草案」にいちじるしく言い表されている。
現行憲法の第13条にはこう記されている。
「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」
ところが、自民党改正草案にはこうなっている。「すべて国民は人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」
自民党草案には現行の「すべて国民は個人として尊重される」が「人として尊重される」に変えられている。個人の尊重とは人種・宗教・性別をなどを超えて一人ひとりが大切にされる。ということであり、国家は個人のための国家であって、個人の自由と人権とその主体性を重んじる国家である。という意味になる。
ところが「人として尊重される」はどうなるか、いうと個人は人として尊重される、ということですから、人は国家のための人であり、国家に奉仕する人になり、すべての人は戦前戦中に回帰して全体主義に生きる人になるのです。
このことは次ぎに記されている国民の権利が「公共の福祉に反しない限り」尊重される、と「公益及び公の秩序に反しない限り」尊重される、にも明確に言い表されている。自民党改正草案が「公共の福祉」を「公益及び公の秩序に」変えるということは、憲法によって保障されている基本的人権を公益・公序に反しない範囲でしか認めないということになる。言い換えれば、個人の人権対個人の人権という事態が発生した場合「公共の福祉に反しない限り」は両者の調整機能の役割を果たすが、公益・公序の場合は、国家が権力で個人の人権を押さえつけ、従わせる。ということになる。

4.自民党改正草案にある安倍政権の本音
自民党の改正草案104条には「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない。」とある。現憲法では憲法は立憲主義に立ち、主権のある国民が国家権力に歯止めをかけるものであり、国家権力者が尊重し守るべきものでした。しかし、この条文では、憲法は国民が尊重し守るべきものとしています。これは憲法を単なる法律としてしまい、国家が国民の自由と人権を守りこれを保障するのではなく、70年前と同じく国民が国家のために国民の自由と人権を縛り、国家・全体のために滅私奉公を強制させる憲法にしようとしているのである。
また、自民党改正法案の中にはこれ以外にも国民の基本的人権を制限するという視点から98条、99条が新設されている。これは非常事態条項である。これは具体的には,有事や大規模災害が発生したとき、緊急事態の宣言を行い、内閣総理大臣等に一時的に緊急事態に対処するための権限を与えるという定めである。この宣言には国会の承認が必要であるが事後でも足りるとされ、内閣は政令を制定できるし、国民は公の機関の指示に従わなければならない義務が課せられている。この緊急事態服従義務を課している点は立憲主義の精神を明らかに逸脱したものであり、緊急事態という名のもとにインターネットによる情報規制などを含めどのような人権侵害も可能となる条項である。
この緊急事態条項は各国の場合軍隊とセットになっている。戦争をする国は緊急事態条項を持っている。日本は軍隊を持たない。だからこれまで緊急事態条項をもたなかった。今回、東日本大震災を契機に安倍政権は災害対策に名を借りて戦時への備えを進めようとする意図が見える。現に災害対策は
現行法の運用によって十分に対応が出来るため憲法条項を持つ必要性は全くないのだから。

5.まとめ
第一回目はこれ以外に様々なことも話し合った。しかし、今回のテーマについての話し合いは、以上の憲法とは何であり、何でないかが中心であった。今回、わたしたちは憲法は主権者である国民の自由と基本的な人権を国家が守り保障するものであることを学んだ。ところが、国家のために安倍政権はあろうことかこの立憲主義を破壊して立憲主義とは真逆の国民に国家のために滅私奉公をさせる全体主義的な暴政を行い、3月29日には安保按連法を施行し、日本は他国に出掛けて行って隣人を殺し、殺される国になってしまった。はじめに記したように、現憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し確定されたものである。」しかし、このままだとこの決意が空しくされ国民主権と国民の自由と基本的人権が剥奪され全体主義の政治が現実のものになる。7月の参院選において自民党と公明党が3分の2の議席を取ることとなった場合は悪夢が現実のものとなる。そこで今のわたしたちがしなければならないことは、自民党と公明党に3分の2の議席を取らせてはならないということである。野党が3分の2の議席を取らせなければならないということである。このために全力をそそごうではないか。
今回、小人数であったが、有意義な談話室を持つことが出来た。感謝している。次回は5月1日(日)午後2時から。テーマは憲法と民主主義。講師は千葉第一法律事務所の藤岡拓郎弁護士である。参加希望者は連絡願いたい。
2016年4月10日
千葉大宮キリスト教会  矢澤新一郎

憲法談話室の概要

憲法談話室は下記の要項にしたがって運営されます。

開催日:4月から毎月第一日曜日 14:00~16:00

場所: 千葉大宮キリスト教会

〒264-0016千葉市若葉区大宮町2880-69

場所は次のURLにてご確認下さい。http://syazawa.jp/

参加費:500円(各回、資料・参加者の茶菓・講師の交通費)

定員:18名(予約制です)

主催:千葉大宮キリスト教会

共催:憲法を考える若手弁護士の会   https://www.facebook.com/chiba.constitutionalism/

【第一回憲法談話室】

日時:4月3日(日) 14:00~16:00

講師:兒島英樹弁護士(船橋第一法律事務所)

テーマ:憲法と法律、憲法と基本的人権について

【第二回憲法談話室】

日時:5月1日(日) 14:00~16:00

講師:藤岡拓郎弁護士(千葉第一法律事務所)

テーマ:憲法と民主主義(司法・教育・文化・マスコミ・選挙)

【第三回憲法談話室】

日時:6月5日(日)  14:00~16:00

講師;足立啓輔(藤井滝沢綜合法律事務所)

テーマ:憲法と非武力的平和(沖縄・戦争法・秘密保護法・緊急事態法)

《申し込み・問い合わせ》

千葉大宮キリスト教会へメールあるいは電話でお願いします。

メールアドレスは info@kenpodanwashitsu.com

電話番号は 043-263-5330 です。

なお、申し込みを希望される方は氏名と住所と電話番号と共に、どの講座に参加を希望するのかをご連絡下さい。また、定員制ですので満員の場合にはお断りすることもありますから、お早めにどうぞ。

(憲法を考える若手弁護士の会 藤岡拓郎弁護士の参加の呼びかけ)

皆さんは憲法と聞いてどのようなイメージをもつでしょうか。六法全書のような分厚い本を思い浮かべますか?何か抽象的で,固く,難解で,憲法について話そうと言えば,あたかも高尚な議論のようにも思われるかもしれません。しかし,憲法は,実は私たち市民にとても身近な存在であり,常に私たちの傍に寄り添ってくれる,ときに人生の支えにもなる強力なサポーターです。

この憲法がなければ,私たちは今と同じ生活ができないかもしれない。ところどころで直面した人生の大事な選択,例えば就職や進学,留学でも,憲法の中身が異なれば,今の道を選べなかったかもしれない。自衛隊をどんどん戦争に送り込んでいたら,一定の収入がある人しか選挙に行けなかったら,好きな本,音楽,大学の研究テーマも結婚相手も自由に選べなかったら,一体どういう社会になっていたでしょうか。
私たちが自分の意思に基づいて自由に行動できる社会,一人一人が平等に個人として尊重される寛容な社会は,この国のあり方を定める憲法自体がそのような社会を目指し,また,それを邪魔しようとする権力を縛り付けているからこそ成り立つ社会です。しかし,極端な言動がもてはやされたり,異なる意見や少数の意見を排斥しようとする近時の風潮をみるかぎり,ひとたび憲法が変われば,私たちが大事にしてきた価値規範はあっという間に緩み,変容していくかもしれない。それは意外なほどもろく危うい社会であるともいえます。だからこそ,今私たち一人一人が憲法やその考え方を自分のものにしておかなければ,そのような変化の波に考える間もなくのみ込まれてしまうかもしれません。
今回,憲法談話室として,憲法についてお話できる機会をいただきました。参加された皆さんと一緒に議論する時間も作って,できるだけ憲法が身近に感じてもらえるような内容にしていきたいと思っています。また,緊急事態条項をはじめとした憲法改正の問題,昨年成立した安保法制,集団的自衛権の問題など近時の憲法をめぐる状況についても何が問題なのか,私たちの暮らしにどういう影響があるのか,具体的なイメージをもてるようにお話しができればと思っています。

憲法談話室からの呼びかけ

★7月の参院選から18歳以上の方々にも選挙権が与えられます。特に高校生の方々のご参加を呼び掛けたいと思います。そして若い方々をはじめ老若男女すべてのみなさんにもご参加を呼びかけます。そしてみなさんとご一緒に今後わたしたちの暮らしを左右する憲法と政治が一体どのように変えられようとしているかをよく見きわめて参院選挙に臨みましょう。今回は衆・参両院選挙も予測されます。その意味でも今回の選挙はわたしたちにとって生か死か、平和か戦争・滅びか二者択一の分岐点です。是非、この憲法談話室に参加して共にわたしたちの歩むべき指標を見いだしましょう。

憲法談話室へようこそ

みなさんは憲法って何だと思いますか?憲法なんてわたしたちと全く関係ないと思ってはいませんか。ところが、憲法はわたしたちの生活と深い深いつながりがあるものなのです。今、この憲法が現政権によって変えられようとしています。というよりも、全く壊されようとしています。ということは、わたしたちの生活が全く変えられて壊されようとしているのです。そこで、わたしたちは改めて今の憲法がどんな内容であり、どんな具合に変えられようとしているか、この談話室で大いに学び、大いに話し合いたいと思います。